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【会報/最新号のコラムより】舞台裏より愛をこめてvol.3 / 小笠原尚子 / n°292


さて、前回(vol.2)のような出逢い後「結婚は狂言師として独立をしてから」のルールに則り、5年という長すぎた春を経て、ようやく婚約、結婚の儀に辿り着きましたのが今から25年前の年明け。
“心優しきモンマリ”さんは、ヨーロッパかぶれの割に超保守的⁈「そろそろ結婚式が近づいているけれど、指輪交換の為のマリッジリングはいつ頃の入手をお考え?」と問えば「指輪⁈そんなの普段しないし、耳とか首とか腕に、ごちゃごちゃナンカ付けんの嫌いなんだよなぁ!僕は古典の人間ですからね。西洋の風習には則りませんよ。結婚指輪の交換⁈本当に必要ならその意義をそこに座って私が納得出来るよう説明してみなさいよ」「結婚指輪はパートナーシップを結んだ証として必要では?」「大体指輪なんてもの、元は鉄の輪“俺のモノだ”の目印、いわば手かせみたいなものですよ(持論)」「わかりました、ならばわたしはいつでも“フリーな女”を装うことが出来るのですね」ああ言えばこう言う倍返し、こんな犬も喰わぬやり取りが続きヒートアップ、一度ついた炎は消えぬまま、わたしは体育座りでひとり湯船につかりながらTVから流れる除夜の鐘の音を涙すすりつつ耳にし、新たな年を迎えたのでした。
その頃のモンマリは随分とイラついておりました。それもその筈、挙式前日に“狂言師小笠原匡独立記念-三番叟(さんばそう)-披キ(初演)”公演を控えておりましたので。門閥外から入門し厳しい修行を重ねてのここ一番という時、狂言師にとってひとつの大切な節目となる演目“三番叟”を初めてつとめると云う“披キ”舞台目前とあらば、結婚等は彼にとり恐らく二の次、そのイライラをおおいに当てられた訳でございます。
“披キ”前の“別火”(身を清め集中力を高める為、女性と火(食住)を別にするしきたり)をクリアし、披キ舞台は目出度く終了、翌日挙式と相成りました。ぐちぐちと文句を云われながら別火前に“デパート”で購入した指輪の交換も恙無く終え、披露宴〆新郎による挨拶時の事「皆さま、ご多忙の折…ー中略ーこのような目出度い機会、次回も是非お付き合い頂けますよう精進したく…」とスピーチ、すかさず先輩能楽師さんより「おいおい小笠原、早速そんな宣言(再婚宣言)していいのか⁈」との突っ込み、前記の通り、その日は本人にとって“祝結婚”では無く“祝披キ舞台”なのでありました。
さて、そんなこんながあり、翌日から晴れて新婚生活スタートかと思いきや、実は、わたくし共の恩師のお考えで、披キ舞台→挙式→フランス公演という予定が組まれておりまして、フランス公演後はパリARTAにて数ヶ月の狂言ワークショップとのこと。師はご多忙につき1週間ご担当、その後小笠原に任せ、夫婦でパリ滞在、それを新婚旅行の代わりにすればとの有り難きお取り計らいでありました。がしかし、挙式翌日、わたくしもそそくさと日本を後にすることなど出来る筈もなく、披露宴へ御列席下さいました諸先生、ご来賓の皆さま方250余りの御礼状へ、母と連日連夜手書きの一筆を書き添え、各所御礼まわり、諸々支払い等の式後残務処理の使命を委ねられたのでした。そして巴里へわたしを置いて、あの人は行って行ってしまった♪…本日はこの辺で。
平和への祈りを込めて。

小笠原尚子(おがさわらたかこ)プロフィール:
“やんちゃ狂言師の裏方古女房” 東京生まれ。神戸→名古屋→横浜→佐渡ヶ島育ち。故八世野村万蔵主宰“わざおぎ塾”にて学生時代に演劇を勉強中、狂言師小笠原匡と出逢い1996年に結婚、伝統芸能の世界に入る。その後、大阪生活を経て2014年よりパリ在住。現在、パリで狂言普及活動の傍ら、自らは役者業を再開⁈(このエッセイでは、日仏文化体験を通し、狂言師一家の四半世紀を振り返ります)

バックナンバー
舞台裏より愛をこめてvol.1 / 小笠原尚子 / n°290
舞台裏より愛をこめてvol.2 / 小笠原尚子 / n°291