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フランスで認知症の母を介護する(1)〜自宅介護編〜

60歳を超えた頃から、日常会話の中で年金生活、老後、親の介護という語を頻繁に聞くようになります。
世界のどこに住んでいてもきっと同じだと思います。

介護は、その最中は辛いものですが、後で笑い話にできることも多いです。そうでもしないとやってられない。笑い飛ばすのが何よりです。
冷蔵庫にトイレットペーパーやハンドバッグが入っていたり、洗面台の上にうんちが乗っかっていたり、徘徊がエスカレートして全国に指名手配されたり、フリーボックスの上におしっこされてテレビも電話も使えなくなったり、庭に入れ歯が埋められていたり(これを見つけた私もすごいです)…
私のフランスでの介護体験(まだまだ終わっておりません)を楽しく共有できたらと思います。

そもそも10年以上前、母を介護しているという認識はありませんでした。母がだんだんおかしくなってきているなあと思っているうちに、いつしか、自分がやっていることを、人から介護という言葉で言われ、あ、そうか、私は母の介護をしているんだと認識したようなものです。

私の事例は特例ですが、姉妹二人してパリ在住35年以上です。小児科医だった父が約30年前に急死、その後母は日仏間を往復していました。今はアルツハイマー型認知症が進みフランスに在住。

母は、父が存命中からいつかパリへ行くと仏語を独学していたものの、父の死後初めて来仏し、カセットテープで勉強してきた仏語と現地でフランス人の話す仏語がまるで別の言語だとショックを受け、仏語習得の努力をやめてしまいました。ですから母の仏語能力はニコニコしながらその場の空気を読むという感じです。
2010年に家の隣にワンルームマンションが売りに出された時に、そこを母の住まいとして購入し半同居生活をしていました。

母の認知症が診断されたのは2015年です。(近藤 毅先生に診断していただきました)
認知症がどのように進んでいったか、記憶を辿るのは難しいですが、姉も私もそれぞれの家族と仕事がありますので母は一人の時間も多く、日本語放送のテレビをつけていても日本語で話す時間、人と接触する時間が限られていました。そんな環境の中でゆっくりと認知症が進行しました。

姉妹二人での介護も徐々に難しくなり、市役所のCCAS(centre communal d’action sociale社会福祉課に相当する課)へどんな援助が受けられるかを聞きに行き、APA(Allocation personalisée d’autonomie個別自律手当)を申請しました。
CCASの方はとても親切で書類の記入も手伝ってくれます。ちなみに高齢者のための配食サービス申請、ヘルパー探しに役立つリストもCCASで取得できます。

高齢者のための援助には色々なものがありますが、APAは当事者が亡くなった後で遺族に返金を請求されたりすることのない手当ですので安心です。自宅介護のAPAを申請する場合は審査に3ヶ月から5ヶ月ぐらいかかりますが、忍耐強く待って審査を通過すると手当がもらえます。要介護度によって援助額が決まります。2-3年ごとに再審査があります。

母は援助をもらえるようになってから日本人のヘルパーさんに週2 、3回来てもらうようにしました。いきいき健康サロンを通して日本人のヘルパーさんを見つけることができました。
自宅介護の数年間には、カメラ設置、配食、認知症徘徊対策ブレスレットなど様々なグッズも試しましたが、アルツハイマーが進んでくるとそれらの使用にも限界があります。コロナ禍も含め、こうして数年が過ぎました。

施設入居編は次号です→

補足 : 万一、身内が徘徊して行方不明になったら、直ちにお住まいの地域の全病院の緊急に連絡し、万一こういう人が搬送されたらすぐに連絡くれるように電話番号を渡しておきます。これは警察で最初に言われたことですが、おかげで母は見つかりました。なんせ、あの日、母は何も持たずにスリッパのまま家を出てしまいましたから。幸い穏やかな小春日和でした。
で、翌日チョコレートを一箱もって警察へお礼に行ったら喜ばれました。地元の人間関係もとても大切です。

(文:かめどん)
*こちらのコラムは邦人健康サポートの会サイトより承諾を得てシェアさせていただきました。
https://kenko-support.fr/kaigo_diary2602/

 

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