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黄色いベスト運動とフランス経済 / 有利 浩一郎

■フランス人は150年来変わっていない?
フランスの体制や風習では、人民が皆政治に関わろうとし、民間に権力があり、政府に威力が薄く、民心が沸騰し易く、それが激動する時に常に政府を突き上げ、制度を転換させようとする。
これ、今回のテーマである「黄色ベスト運動」(Gilets Jaunes) について書かれたものと思われるかもしれませんが、実は違います。驚くべきことですが、今から約150年前の1870年10月10 日、普仏戦争においてプロイセン軍がパリを包囲する中で、パ リに留学していた渡正元が、ナポレオン三世のプロイセンへの 降伏後に成立した共和制を観察して書いた言葉です(渡正元著、 横堀惠一校訂現代語訳「巴里籠城日記」)(注)。 フランス人にも色々な人がおり、まとめて一括りに語るのは良 くありませんが、人々の気質や世の中の雰囲気はそう簡単には 変わらないのかもしれません。マクロン大統領は、昨年12月10 日の国民向けの演説で、国民の不満は40年来のものであり、(と ても深いところに根差しているという意味で)「とても遠くか ら来ている(Cela vient de très loin)」という表現を使っていま したが、引用した渡正元の記述をみると、こうしたフランス人 の国民性自体、はるか遠くの昔から来ているように思えます。 (注)冒頭の文章の原文は「佛の國體(こくたい)は其土風人 民擧(こぞっ)て政治に關係し、草莽(そうもう)に權ありて 廟堂(びょうどう)に威力薄く、動(やや)もすれば民心沸騰 し、其激動するに當(あたっ)ては常に政府を衝いて制度を轉 (てん)換せしめむとす。」

■2018年予算法案(2017年秋)
さて、そのマクロン大統領ですが、2017年5月の大統領選挙で は国内投資を増加させるため連帯富裕税の課税対象から金融資 産を外して「不動産富裕税」とすること、サラリーマンの保険 料負担を下げること、軽油の燃料税率をガソリンの燃料税率に あわせていくことを公約として語っていました。また、欧州連 合の財政上の基準の一つである財政赤字対GDP比3%以内の 目標を達成することも公約としていました。 そして初の予算編成である2018年予算法案・社会保障予算法案 では、連帯富裕税を不動産富裕税に変え、一般社会税(CSG) の増税を財源にサラリーマン負担分の健康保険料・失業保険料 を廃止し、環境配慮のため軽油・ガソリンの燃料税(エネルギー 産品内国消費税)の税率を引き上げ、かつ、軽油の税率を大幅 に引き上げてガソリンの税率に近づけるという改正を盛り込ん だのです。 2017年10月から始まった議会審議や新聞紙上で一番議論に上っ たのは連帯富裕税を不動産富裕税に変える改正でした。ル・モ ンド紙では、日本でも有名になったトマ・ピケティ氏がこの改 正は歴史的誤りだと厳しく批判し、議会でも世論への配慮の観 点から、最終的に不動産富裕税と同様の課税をヨットなどにも
在フランス日本国大使館参事官 有利 浩一郎
広げる修正を盛り込んでいます。 また、サラリーマン負担分の健康保険料・失業保険料の廃止に ついては、ほとんどすべての所得に課税される一般社会税の増 税で財源を確保し、国民みんなの負担で労働者の負担を下げる という考え方をとっていますが、これについては予算提出時の 2017年9月、予算法成立後の2018年3月および6月に、保険料 廃止の恩恵を受けないのに一般社会税増税の対象となる一定収 入以上の高齢者の中で不満が高まり、小規模のデモが起きまし た。それに、当時それほど大きな問題にならなかったものの、 実は、保険料負担の廃止が2018年1月と10月の2段階で行われ たのに対し、一般社会税の増税は2018年1月に一気に行われた ため、増税が減税よりも先行し、2018年は、約40億ユーロ(約 5000億円)の一時的な負担増が国民に生じてもいました。そ の結果、保険料負担が廃止される10月までは国民全体では購買 力が落ちていた可能性があります。 軽油・ガソリンに関する燃料税の増税については、2017年から 2018年に向けて1リットル当たり軽油は0.08ユーロ(約10 円)、ガソリンは0.04ユーロ(約5円)の増税が盛り込まれ(付 加価値税への影響分も含みます)、その後も2022年まで毎年 税率を上げ続ける改正が2018年予算法案に盛り込まれていまし た。しかし2017年秋の議会での審議では昨秋のような大きな 問題にならず、与党少数の上院で修正案が出たものの、結局そ のまま予算法が成立しています。つまり、軽油とガソリンの 2022年までの増税は2017年末の時点ですでに法律で決まって いた話だったのですが、昨年の「黄色ベスト運動」の中では、 政府が2019年予算法案に2019年に向けて新たに軽油やガソリ ンの増税を盛り込んでいると誤解していた人たちが多くいて、 さらに、そうした勘違いをしていると思しき閣僚がいたことも 驚きでした。逆に言えば、いかに2017年秋の2018年予算法案 の審議でこの増税が問題にならなかったかを物語っているとも 言えます。

■2018年10月、何が起きたのか
直接の契機は、石油価格上昇による燃料価格の上昇が10月半ば にかけて起き、特に増税幅が大きかった軽油では2017年末と 比較して1リットル当たり0.25ユーロ(32円)の価格上昇、ガ ソリンでも0.16ユーロ(21円)の上昇となって、人々がにわか に2018年の増税と翌2019年の増税の存在に気付いたことにあ ります。しかし、サラリーマン負担分の保険料廃止に先立って 一般社会税の増税が先行する状態が9月末まで続いていたこと も、人々の直感的な負担増の感覚につながった可能性がありま す。失業率が大きく下がって、人々の暮らし向きが好転してい れば話は違ったかもしれませんが、2017年に8%台(仏本土) に下がった失業率も、2018年に入って若干上昇しその後足踏 みしていたこともあり、後から振り返ると、昨年10月辺りに「民 心が沸騰し易く」なる条件が整ってしまったのかもしれません。ちなみに「黄色ベスト」自体は、2008年7月30日のデクレ第 2008-754号による道路法典R416-19条の改正により「車 の運転手は緊急停止に続いて路面又はその周囲において動かな くなった車両から外に出ることになったときに規則に従った高 い可視性のあるベストを着用しなければならない」という条項 が入り、2008年10月1日から着用が義務付けられたため、皆 が運転の際に携行しなければならなくなったものです。

■2018年12月の経済社会緊急対策
当初は軽油・ガソリン価格の上昇に端を発した燃料税率の増税 反対運動だった黄色ベスト運動も、日を経るにつれ、富裕層へ の税負担を下げるのはおかしいという観点から連帯富裕税の復 活や、高齢者への一般社会税増税の撤回、インターネット企業 への課税強化といった主張が行われ、さらには現在の第5共和 制を終わりにして第6共和制に移行すべきだとか、市民のイニ シアティブによる国民投票を行うべきといった主張も出て、国 の政体の在り方の問題にも波及していきます。 軽油・ガソリンの燃料増税は、気候変動問題や環境問題への対 処の観点から必要な政策であり、かつ、それを撤回すれば40億 ユーロ(約5000億円)の減収となるので財政赤字3%の基準を 超える恐れがありました。したがって、政府としては、当初、 増税の撤回に応じないという姿勢でしたが、日に日に運動が激 しくなり、フィリップ首相は増税の6ヶ月延期を表明するも運 動は収まらず、ついに12月10日、マクロン大統領はその撤回を 表明するに至ります。 さらに、国民の収入を増やす購買力向上対策として、(ア)本 年3月末までに支給されるボーナスに対する所得税・一般社会 税・社会保険料等の免除、(イ)残業手当への所得税・社会保 険料の免除、(ウ)一部の退職者に対する一般社会税増税の撤 回、(エ)活動手当増額と最低賃金増額を合わせた低所得者の 月100ユーロの収入増確保も表明します。一方で、投資促進の ため連帯富裕税の対象から金融資産を外して不動産富裕税にし た改正は元に戻さないとも表明、こうして「国民の購買力向上」 と「投資促進・企業競争力向上」というマクロン大統領の主要 原則を辛うじて維持した形の経済社会緊急対策がまとめられ、 政府は12月19日に対策法案を議会に提出、21日に議会で法律 が成立し26日に公布されています。 一方で、これらの対策に必要な財源は100億ユーロ(1.3兆円) とされ、(ア)本年1月に予定されていた法人税率引下げ (33.33%→31%)を売上高2.5億ユーロ超の大企業について1 年延期、(イ)電子サービスを提供し一定規模の売上高のある 企業(大規模インターネット企業)への売上高課税の本年1月 からの実施といった財源確保案が政府から表明されていました が、3月6日になって法案が議会に提出されました。また、これ らの財源では到底100億ユーロは賄えず、結局2019年の財政赤 字対GDP比は当初想定していた2.8%から3.2%に悪化する見 込みです。ただし、「競争力と雇用のための税額控除の社会保 険料軽減への転換」(CICE)により2018年分税額控除と 2019年分社会保険料軽減が2019年に集中する単年度の特殊要 因(=0.9%分の財政悪化)があるため、「実質的な財政赤字は 2.3%」で欧州の3%基準を満たすと政府は説明しています。

■2019年経済への影響
2017年5月のマクロン政権発足後、成長率は高めで推移してい ましたが、2018年に入り成長率は鈍化、第3四半期には設備投 資・消費に回復が見られたものの第4四半期は設備投資・消費 も低調となり、「黄色ベスト運動」が少なからず影響を与えた ものと見られます(図表参照)。 こうした中で、2019年のフランス経済では、いかに「黄色ベス ト運動」の影響を脱し、設備投資や消費といった内需の回復で 成長をけん引していくかがポイントです。また、昨年末に法律 が成立した経済社会緊急対策が経済にどの程度ポジティヴな影 響をもたらすかもよく見ていく必要があります。もちろん、欧 州経済ではイタリア経済・ドイツ経済の鈍化や3月末のBrexitの インパクト、世界経済では中国経済の成長率の鈍化の影響もあ り、予断を許しません。また、国民の購買力向上や社会不安解 消のためにも、失業率の低下は重要です。2018年第4四半期に は久々に失業率が低下しましたが、一過性の動きなのか、さら に失業率が下がるのかについても注意してみていく必要がある と思います。 (注)文中意見にわたる部分は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織の見解ではありません。

著者紹介

有利 浩一郎 在フランス日本国大使館参事官(財務省出身)。 1998年から2000年までパリ第二大学留学。財務省主計局、 主税局、国際局などの勤務を経て、2015年からOECD代表 部参事官、2017年から現職。