【特別寄稿】 パリオリンピック取材で感じた フランスらしさ /ジャーナリスト 守隨 亨延
皆さんは、オリンピックの期間をどう過ごされましたか。パリに残った派? 脱出した派? それともパリを訪れた派? 私は「パリに残った派」でした。なぜならパリオリンピックは、記者という仕事に就いている私にとって節目のイベントだったからです。
私は2009年にパリに来ました。東京で雑誌記者をしたのちにフランスへ渡って、今年で15年目です。フランスでは日本のテレビ局の支局などで働いたこともありましたが、現在は独立して自分の会社を持っています。日本の複数メディアと契約を交わして、通信員または特派員として仕事に従事しています。
今回のオリンピックでは、私にはいくつかの役割がありました。ひとつは日本の通信社の記者としてポルト・マイヨーにあるメインプレスセンターに詰め、国際オリンピック委員会(IOC)の会見を毎日取材すること。もうひとつは、日本からオリンピック取材に来たテレビ局などの映像チームを差配して、期間を通して各部隊が現地でスムーズな取材活動をこなせるようにすることです。
フランスに対する心情は、その人が住んでいる地域、過ごしてきた時間、配偶者や友人の国籍、家族構成、学校・職場環境で、さまざまに変わると思います。それらを踏まえて、私にとってのパリオリンピックの印象は「フランスらしさ、パリらしさの全部乗せ」でした。期間中に得た体験のなかで、私が思ったフランスらしさをご紹介します。
今回のオリンピックにおいて、大きな話題となったのがセーヌ川でのスイムでした。IOCの会見を取材していて、スイムを巡るやり取りが、じつにフランスらしいと感じました。
オリンピックの開会式は、ご存知のようにあいにくの雨空。この雨によって影響を受けたのが、セーヌ川をスイム会場とするトライアスロンでした。セーヌ川を競技会場に使うには、以前から大きな問題がありました。それはセーヌ川の水質です。
パリの下水道は、雨水と下水を同じ排水として扱っているため、雨量が増すと下水道の処理能力を超え、あふれた水がセーヌ川に放出されてしまいます。ゆえに降雨量が増すと川の水質が悪化し、晴れが続いた時期の値に戻るまでに、多少の日数を要するのです。スイムの実施については、競技開始の数時間前に川の水を採取して科学的な分析にかけ、大腸菌などの割合を数値として出して判断します。
パリ市は、雨量が増えても下水が川にあふれないように、市内オステルリッツに地下貯水槽をオリンピック前の5月に稼働させました。しかし実際は、川の水質改善に完全には対応できていませんでした。
7月29日、次の日に男子トライアスロンの本番を控えていたIOCの定例会見。開会式の翌日以降は、パリは晴れの日が続いていましたが、水質が基準値を下回らず、すでに何度か練習は延期になっていました。この日も早朝の水質検査の結果からセーヌ川での練習は中止に。記者側は本当にセーヌ川で競技を実施できるのだろうかという気持ちでいっぱいでした。「水質レベルはどうなのか?」「ギリギリまで本番会場で練習できないと、選手が準備できないのではないか?」。質問が飛びました。
会見に対応したIOCのアダムス広報部長は「数値は急速に下がっている。明日の競技には自信がある。(水質が戻るまで)待たなければならない」と述べるのみ。何を質問しても、それ以上の内容は言いません。記者側としては、のれんに腕押し。アダムス広報部長としては、期待を抱かせる、または悲観的観測を思い起こさせることは、IOCのスポークスマンとして言えません。
翌30日。天候は晴れ。しかし水質の数値は基準を下回りません。この日の会見にはトライアスロン競技に関係するいくつかの責任者が、会見の壇上にそろいました。いつもの会見の流れとしては、記者との質疑応答に入る前に、IOCの広報担当はじめその日の参加者が、前日の振り返りや今後の予定を報告していくのですが、各責任者は「あすは実施できると願っている」「延期は残念だが選手たちの雰囲気は良い」「各団体と強く連携している」と、記者からの質問が出る前に、突っ込まれそうな項目について釘を刺していきました。
その様子からは、たび重なるスイムの延期に対する批判を、なんとかしてかわしたい気持ちが見て取れました。セーヌ川で競技をおこなう方針に不満は持っていないし、延期についても自然相手のことだから仕方がない、皆ちゃんと理解して水質が改善するのを待っているといった雰囲気で、お互いの仲の良さをアピールしていきます。怒られないように、いろいろなものを持ち出しそろえて必死に取り繕っている様子に、記者席に座りながら聞いていた私は、聞きたい答えが返ってこないもどかしさよりも、なんだか言い訳をしている子供に対するような、愛らしさを次第に覚えてしまいました。「そうだ、この憎めなさも含めて、私は今フランスにいるんだ」と再認識したのでした。
結果的には、翌31日に男子トライアスロンは実施。同日の会見では「とても喜ばしいこと」(IOCデカン広報部長)と、スイムを無事に実施できたことを評価して、この話題はひとつの幕引きになりました。もちろん、日によっては選手の健康問題などの質問が会見で話題に上りましたが、スイム実施前の「本当にセーヌ川で泳げるのだろうか」という切迫感を超える場面展開はなく、セーヌ川を巡る話題はしりつぼみになりました。
振り返れば15年前、当時29歳だった私がフランスで暮らしはじめたきっかけは、自らの意思による選択でした。日本で生まれ育ってきたため、フランスで暮らしはじめた当初は、多くの違いに驚き、不満を抱いたこともありました。しかしそれらも含めて、今も自分がこの国を選び暮らし続けているということは、長短を感じつつも、自分のなかにこの国の気質を受け入れられている部分があるからです。オリンピックの慌ただしさのなかで、そんな感情にふと触れられたのがIOCの会見であり、今後も人生で忘れないだろう一コマでした。
守隨 亨延(しゅずい ゆきのぶ)
ジャーナリスト。時事通信・運動部パリ通信員。地球の歩き方フランス特派員。ロンドン大学クイーンメアリー校で公共政策学修士を修了後、東京でガイドブックおよび雑誌記者として働く。渡仏後は朝日放送(ANN)パリ支局勤務を経て、メディアおよびそのコーディネートを扱う株式会社プレスイグレックを設立、代表を務める。フランス・スポーツ記者組合所属。渡航経験は約60カ国800都市。愛知県出身。