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【特別連載 パリの画家たち】ナイジェリアの太陽(1)/ 全2回  風間偕子オべ-ル / n°283

私は1978年から83年の間、フランス人の夫と一緒に北ナイジェリアの大きな都市カノの近くの小さな部落ゴルワゾに滞在した。その時の体験記で約7年前にある新聞に掲載されたものの抜粋である。
[黄緑色の太陽と見えない危険物]
ナイジェリアは一年を通して暑い国であるが、フランスや日本の春から夏(3月~8月)の季節には雨季となり、秋から冬(9月~2月)の季節は乾季になる。雨季は気温が下がり30~35℃のナイジェリアの冬(?)の季節となり涼しくなる。雨が上がると猛暑になり、夜は少し冷え込む。乾季は気温50~53℃になり、現地人も動物も誰も彼も動かずに、木陰でじっとしているしかない。「怠け者」とか「動作が鈍い」などと言っている場合ではなかった。私の滞在中に一度だけ15℃の日があったが、寒くて寒くて一日中震えていた。「まるでここはアラスカだよ」などと夫が言っていたことを思い出す。一転して乾季の時は大地も人も干からびる。皮膚の乾燥を防ぐためにパリから保湿クリームをたくさん持参したがそのようなクリームごときでは全く役立たない。スキンオイルを一日にたっぷりと何回も塗ってホッとしていた。

時々サハラから砂嵐が舞い上がり、滞在するゴルゾワの村に押し寄せる。赤茶けた太陽と大地に熱風と共にこの砂塵が世界の常識の色を変えてしまう。それは空と太陽が白くなりやがて黄緑色になる。色に敏感に反応してしまう私は、窓の向こうの幻想的な世界に息をのみ恍惚状態となっていた。太陽の色をも変えてしまう砂嵐は目に見えない危険な細菌、ウイルスなどの病原菌を運んでくる。それらによって私は何回も腹痛や下痢に襲われた。目に見えない風や空気はあらゆる物を運んでくる。夜ベッドからトイレに何回も往復したが、間に合わずトイレの便器の傍に横になったこともある。こうなるとげっそり痩せて、体力をたくさん消耗した。つまり疫痢や赤痢のような症状を何度も経験したのだ。

日本を出て3年後でアフリカ大陸に住み始めた「大和撫子」の私は、ヨーロッパとアフリカのあらゆる病原菌のターゲットになってしまったのだ。また、厄介なのは寝ているときも、ある毒虫が皮膚の上を這ったりすると、その部分は皮膚や肉が腐ってしまうというような恐ろしい虫にも用心しなければならなかったことである。私はその毒虫の被害にはあわなかったが、何人かのフランス人マダムたちが被害にあって虫が這ったお腹の辺りの皮膚が赤くただれてぐちゃぐちゃになってしまったのを見た。病原菌を運ぶ毒虫や蚊に刺されて死ぬ人たちは2000年前の記録にもあるが、21世紀となった今日も同じである。

現地の畑の乏しい野菜や現地の野菜(主にトマト、玉ねぎなど)、一時期の季節だけに実るマンゴーなどの果物や木の実も、食品用の消毒液で洗い、さらに水でよく洗う。洗った野菜や果物なども全て皮をむいて料理に使った。決して油断せずに細心の注意で料理をする。これはとても大事なことであり、住み慣れたからといって軽く考えたら肉体はすぐにダメージを受ける。私がパリに戻った数年後、日本人女性が私を訪ねてきた。「ナイジェリアに旅行に行って原因不明の病気になった」と話す。詳しく聞くと最後の日に油断して現地の水を飲んでしまったようだ。一刻も早くパリのアフリカ科専門の病院に行く事をすすめたが、その後どうなったか女性からの連絡はない。すぐに専門病院に行かないと原因追求はできなくなって治療不可能になる。アフリカは大自然と未知の病原菌の脅威の大地であり、人間が足を踏み入れることを拒否するかのようにそれらが立ちはだかる。

 

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