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【特別連載】パリの画家たち出合いとものの見方の転換(その2)/ 高僧 光隆 KOSO Mitsutaka / n°286

わたしが出合いました二人の師と仰ぐ方を紹介させていただきます。
大学に入学し19歳の時、画家であり絵の教師、柏健という方と出会った。お会いした時、先生はフランス政府給費留学生としてパリ国立美術学校留学を終え帰国しまだ数年しか経っていなかった。先生は何時間も熱っぽく絵画のことを語った。会う度そうだった。田舎者の野球青年には解らないことばかりだった。しかしその場を離れることが出来なかった。先生の話が少しわかるようになった頃、とにかく話を聞きたくカバン持ちとして講義している大学にも行った。金沢美大にも付いていった。先生のアトリエにもよく行った。友人画家の展覧会、画廊周り、展覧会搬入の手伝い、食事、酒の席などなど、実に金魚の糞のように付きまとっていた。先生の絵画作対する批評は穏やかな言い方だが歯に衣着せぬものだった。大学の学芸祭の時、先生の作品一点を借りてきた。その宝物を枕元に置き夢心地に就寝した。人生、絵画の師として深く尊敬している。
仏教の師、真野龍海先生(台下)を紹介します。梵文・サンスクリットがご専門。先生の学部生徒ではないわたしを何故か可愛がってくれた。わたしも何故かフランスに行く前、先生を訪ね日本を離れることを伝えた。先生は「それでは食事に行きましょう」と。水の如くに振舞われる方だ。フランスに住み10数年経ったころ浄土宗からフランスでの仏教活動の申し出を受けた。初めお断りしたが、遂にはお引き受けした。寺を出て還俗したものが再度仏門に入り直しになった。人生は実に不可解なもの。ブッダのご縁は不思議な力のあるものです。2008年より浄土宗ヨーロッパ仏教センターとして仏教活動開始。その披露記念講話会講師を迷わず恩師真野先生にお願いした。即お引き受け下さった。先生は86歳だった。テーマは<仏教ってな~に>とした。それは時間をかけて答えを見つけたく思っていた自身の問題だった。それを先生にぶつけた次第。先生はそれから毎年計7年にも渡り、90歳を過ぎてもお越し下さった。宗の勧学で大切な上人、そして清浄華院の法主に就任され、個人行動を取り難い方、そこを押してフランスが好き、皆さんとお話ししたいとお越し下された。先生の原稿を何度か見せていただいた。チンプンカンプン解らないものだった。サンスクリット語はインドヨーロッパ語族でフランス語もそのうちの一つ、難しい仏教用語を解するにフランス語も面白いよと言われていた。
お二人の先生・恩師には19歳から今に至るまで変わらない親交をいただきお世話になっている。お二人に低頭合掌している。真野龍海台下は昨年遷化されたが、私には仏教と絵画は車の両輪の如くになった。
フランスに来て多くの邦人、フランス人の方々のご親切、教えを受け、お世話になっている。誠に有り難く感謝しています。出会いは実に素晴らしいものと感謝している。

 

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