会報 / 最新号コラムより
【誌上セミナー】フランスに雄飛した日本の庭師 / 鈴木 順二(慶應義塾大学名誉教授)/ n°285
今日パリの代表的な景観としてなじみ深いのは、シャイヨ宮のテラスから眺めたエッフェル塔の姿でしょう。この丘からセーヌの河岸へと下るゆるやかな斜面は緑濃いトロカデロ公園となっていますが、130年ほど前、ここに日本庭園を作り半年のあいだ日本の草木ばかりを育てた日本人庭師がいました。彼はその後パリ近郊にあった幾人もの名士の屋敷などで植木職人・造園家として腕をふるい、その功績により農業省から勲章を授けられ、フランスに骨を埋めたのでした。畑和助(はたわすけ) — これが特異な人生を歩んだ庭師の名前です。
23歳だった畑がパリに現れたのは、エッフェル塔が完成した1889年(明治22年)のこと。この年に開かれたパリ万国博覧会に日本の園芸を出品する貿易商と共に、横浜から来たのです。当時はまだ日本趣味の流行が尾を引いていました。畑はトロカデロに設けられた園芸展示場に日本庭園をこしらえ、はるばる運んだ植物の世話に励みます。すでに欧米で人気の高かった日本固有の各種のユリをはじめ、アジサイ、ソテツ、カエデなど数十種、さらに樹齢80年を超す盆栽 “arbres nains” まで展示して販売しました。すると園芸専門誌のみならず一般紙などでも挿絵入りで詳しく紹介され、日本園は大いに話題を集めたのです。審査の結果、日本植物は金賞に、茶店風の東屋は銀賞に輝きました。
万博閉幕後、畑はダンディとして有名だった日本趣味の伯爵ロベール・ド・モンテスキウに雇われます。トロカデロに近いモンテスキウ邸(現クレマンソー記念館)で鉢植えの日本産の草木を育て、しゃれた竹の小屋掛けを組むなどして庭を和風に整えました。その従姉妹グレフュル伯爵夫人の大別荘があったブワ=ブドラン(セーヌ=エ=マルヌ県)では、日本庭園をこしらえました。細い流れに沿って石灯籠、反り橋、奇岩、藤棚などと日本の植物を取りあわせた本格的な作りでした。また、モンテスキウがヴェルサーユに転居すると、そこでも庭の一角に庭門を建て、大小の盆栽などで温室を飾ったのでした。多くの著名人が訪れたこれらの庭は写真家により撮影され、そのプリントは今日フランス国立図書館にも保存されています。
ヴェルサーユからほど近いジュイ=アン=ジョザスには、親日家のユーグ・クラフトが1880年代に作らせたミドリノサトという広い和風庭園がありました。ここでも畑は築山、池、反り橋、井桁と鶴瓶のある井戸、石灯籠などを配して、見事な庭を作りました。クラフトが撮った多くの写真が、ランスのヴェルジュール博物館に残されています。ミドリノサトのあった通りは、その後呼称が rue de Midori に変わりました。
1900年頃、畑はモンテスキウ伯の紹介で、ブローニュ=シュル=セーヌにあったエドモン・ド・ロッチルド(ロスチャイルド)男爵の別邸で働きはじめます。ロンシャン競馬場から道を一つ隔てた広大な敷地の一角に回遊式庭園を造園し、丹念に手入れを続けました。日本産植物(幅広い品種のボタン、ハナショウブ、ユリ、アジサイ、針葉樹など)は無論のこと、尾長鶏のような動物まで育てていたそうです。今日、別邸は男爵の名を冠した公園となって市民に親しまれ、新たな和風庭園も整備が進められています。
今では想像しにくいことですが、当時のフランスでは日本に由来する大輪のキクが人気を集めていました。菊花展が毎秋パリで開かれ、園芸愛好家ばかりでなく、社交界の人々も訪れる注目のイベントだったのです。畑は1903年の菊花展に、まだ珍しかった千輪咲きを出品して最高賞を受け、園芸協会の会員に迎えられます。こうした植物栽培と造園の実績が評価され、1906年には農事功労章のシュヴァリエに、数年後にはオフィシエに叙せられたのでした。また、当時ブローニュには、篤志家としても有名な銀行家アルベール・カーンが日本庭園を持っていました。こちらは1898年にやはり横浜から来た鈴木という庭師が造園を始めたものです。同じ町に住む鈴木と畑は、親しく行き来していたと思われます。その後カーンの庭園は県立の施設となり、現在では一般に公開されて様々な催しが行われていますので、きっとご存知の方も多いでしょう。
エドモン男爵のところは居心地が良かったようです。畑は1928年(昭和3年)に62歳で没するまでブローニュに住みつづけました。この町のピエール・グルニエ墓地に埋葬され、お墓は1970年頃まで残っていたそうです。ちなみにカーンはこの墓地に眠っています。
長く歴史のなかに埋もれていた畑和助については、なお謎の部分が少なくありません。コロナ禍が終息した暁には、またフランスでその足跡を追いたいと思っています。
すずき・じゅんじ 慶應義塾大学卒。博士(仏文学・パリ第4大学)
著書にLe japonisme dans la vie et l’œuvre de Marcel Proust