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会報 / 最新号コラムより

舞台裏より愛をこめてvol.6 / 小笠原尚子 / n°295

1991年、1996年と“ARTA”(Association de Recherche des Traditions de l’Acteur)での狂言スタージュを担当させて頂き、短期間ながらもパリ生活を体験して以降、モンマリのパリ愛、ヨーロッパカブレは深まるばかり。その後も機会があればフランス国内外にてスタージュを行っておりました。
そんなパリ愛に巻き込まれるかたちで、子供たちも幼い頃から“マイレージ”を駆使しパリへ連れて来られては“バギー”2台で市中引き回し。「フランスの芸術はスゴイぞ!お前たち良く観なさいよ!」と美術館へ連れて行かれるも、当時は大賑わいの館内、大人のお尻しか視界に入らない状況、モンマリのパリのあれこれを取りこぼすなとばかりに計画された強行スケジュールに付き合わされ、目の下に隈を作りながら後に続く毎日、フランス人的穏やかでゆったりとした優雅なヴァカンスとは程遠いパリ滞在を送ったものでした。
そのパリ愛炸裂し、モンマリの指令により2014年“狂言普及活動”を名目に、子供二人、犬二匹と共に、このパリへ頼る友人も手立てもないまま鉄砲玉の如く派遣された訳ですが、始めの数ヶ月間は人間的生活を送ることが出来るよう、そして子供達の教育環境を整えることで手一杯でありました。家具の無い伽藍堂のアパルトマンを選びましたので、日本から持参した寝袋が大活躍、蝋燭も用意して来ていました。
パリ入り後、ようやくネット環境が整うや否や日本からモンマリによるネット電話の嵐。「狂言出来そう?スタージュ出来そう??劇場見つかりそう???」と…。「子供達の学校も決まらぬ内に劇場が見つかる筈無いでしょうが!」と怒り心頭でありましたが、当時はまだ古典業界の殊勝な妻であらねばならぬとの思い込みもあり「まだ見つかりません、スミマセン」と何故か謝罪、それでも日常の生活と並行して狂言普及の機会を日々探していました。
わたくし自身の仏語は日常生活レベル、子供達は仏語を学び始めたばかり、普及活動をしたくとも初っ端、言葉の面でアウト。そのような折、頭の中にはいつも“ドミニック・パルメ”さんの存在がありました。そう、ARTAで通訳をご担当下さいました流暢な日本語を話されるあのマダム、本業は翻訳家さんで三島由紀夫氏他の著書翻訳を手掛けていらっしゃる方ですが、96年のスタージュ以来音信不通状態でありました。
そうこうする中、パリ在住の方々とのご縁も少しずつ広がり、ある日、在仏日本人会の重鎮さまより息子へ、日本人会主催“希望祭”での狂言小舞披露の機会を頂戴致しました。

当日はわたくしも日本館屋外の売店お手伝いをさせて頂いておりましたが、ふとした瞬間目の前をパルメさんそっくりな女性が横切られ…この時が2015年の5月でしたので、ARTA以来19年の歳月が経っていましたが、あれは間違いなくドミニックさん!急いで後を追いお声掛けさせて頂きました「あの、失礼ですが、ドミニックさんでいらっしゃいますか?わたしは随分前にARTAでの狂言スタージュでお世話になりました小笠原…」「あぁ!タダシさんですね。わたくしはよく覚えていますよ!」これが、パリでの活動の大きく動き出す瞬間、“希望祭”で大きな希望を頂いた奇跡的再会でありました…。
本日はこの辺で。
平和への祈りを込めて。

小笠原尚子(おがさわらたかこ)プロフィール:
“やんちゃ狂言師の裏方古女房” 東京生まれ。神戸→名古屋→横浜→佐渡ヶ島育ち。故八世野村万蔵主宰“わざおぎ塾”にて学生時代に演劇を勉強中、狂言師小笠原匡と出逢い1996年に結婚、伝統芸能の世界に入る。その後、大阪生活を経て2014年よりパリ在住。現在、パリで狂言普及活動の傍ら、自らは役者業を再開⁈(このエッセイでは、日仏文化体験を通し、狂言師一家の四半世紀を振り返ります)

バックナンバー
舞台裏より愛をこめてvol.1 / 小笠原尚子 / n°290
舞台裏より愛をこめてvol.2 / 小笠原尚子 / n°291
舞台裏より愛をこめてvol.3 / 小笠原尚子 / n°292
舞台裏より愛をこめてvol.4 / 小笠原尚子 / n°293
舞台裏より愛をこめてvol.5 / 小笠原尚子 / n°294

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