会報 / 最新号コラムより
舞台裏より愛をこめてvol.7 / 小笠原尚子 / n°297
モンマリの別名は“台風の目”または“ムスィユームチャブリ” 前者はまるで“台風の目”が如く、本人は至って平然と我が道を進み、周りがその渦に巻き込まれ振り回されるパターン、後者は読んで字の如く“ムチャブリ殿”しかも度々“メッチャ”が外せないパターンでございます。
モンマリの命を受け、8年前の重陽の節句、9月9日に子供2人、ワンコ2匹と共にフランスに降り立ち、夏のぶり返しで酷暑となりましたその日、一路パリを目指し汗だくで伽藍堂アパルトマンに転がり込んだ訳でございますが、数週間後にネット環境が整うや否や「狂言公演をやろう!」と無茶苦茶なことを仰るのですから、既出の別名がついてあたり前田のクラッカー。
「狂言公演やろう⁈」いやいや、ライフラインと申しましょうか、電気は通りましたものの、ガス台も冷蔵庫もベッドも無い中、しばらくカセットコンロに寝袋、プラスチックケースの出来合いメシ生活者でありましたわたくし共に、会場を探せ!とは何たる仕打ち。 しかし、それまでの結婚生活で“「Non」と言えない日本人妻”に仕立て上げられておりましたわたくしは、モンマリの指令に従うべく、何とか子供たちの通学先を確定させ、ConforamaとCastoramaに通い、椅子やゴミ箱やミラーやらを市内バス利用にて運び入れ、IKEAから取り寄せた家具を毎日のように組み立て、不用品があるとの連絡で知人宅を訪ね、家具や食器をゴムバンドでグルグルに縛り付けた“ガラガラ”を運ぶ日々の続いたある日のことでございました。その日はテーブルを購入し、運びようのない包装段ボールへ持ち手用にと不恰好な穴の開けられた状態でバスを待っておりました折「お母さん、この生活はいつまで続くの?恥ずかしくないの?」と娘に尋ねられたのでした。それもその筈、生まれてこの方不自由無く、自家用車もある中で暮らしてきた娘にとって、大きな荷物を公共交通機関で運び、人さまからものを譲って頂くこの状況は、あまりにも不安で惨めに感じたのでしょう「嗚呼ごめんね、子持ち肝っ玉かぁちゃんになると、これしきのこと恥ずかしいとも何とも感じなくなっちゃうのよ。今日このテーブル買っちゃえば、あと大きなものはないから、お母さん一人で運べるから、これで最後、恥ずかしかったのね、ごめんね」と多感な時期を迎えていた娘に詫びたのでした。
そんな揺れ動く娘の心情などもよそにGoing My Way台風の目のモンマリからは度々「まだ?マダ?未だ⁇」とメッチャムチャブリコール。ラブコールならまだしも、家族いち駄々っ子モンマリの為、パリ暮らしスタートから1か月、最低限の生活スタイルが確保出来たか出来ないかの頃、当時唯一繋がらせて頂いておりましたパリでご活躍のアーティストさん方へムチャブリなご相談を開始、実現しましたのがそこから4ヶ月後、パリでの初自主公演「猿神」。
会場費支払いの為の小切手の書き方もわからず、出演者さまに助けて頂く始末…この5ヶ月間で白髪がどっと増えたことは言わずもがな…
本日はこの辺で。
平和への祈りを込めて。
【ご案内】
コロナ禍の煽りを受けすっかり頓挫しておりました自主公演、その名も“パリ延年之会”ようやく再開の目処が立ち、本年11月16、17日、MPAAサン=ジェルマンにて開催の運びと相成りました。詳細のご案内はまた後日、是非ご予定空けておいて頂けましたら幸いでございます!
小笠原尚子(おがさわらたかこ)プロフィール:
“やんちゃ狂言師の裏方古女房” 東京生まれ。神戸→名古屋→横浜→佐渡ヶ島育ち。故八世野村万蔵主宰“わざおぎ塾”にて学生時代に演劇を勉強中、狂言師小笠原匡と出逢い1996年に結婚、伝統芸能の世界に入る。その後、大阪生活を経て2014年よりパリ在住。現在、パリで狂言普及活動の傍ら、自らは役者業を再開⁈(このエッセイでは、日仏文化体験を通し、狂言師一家の四半世紀を振り返ります)
バックナンバー
舞台裏より愛をこめてvol.1 / 小笠原尚子 / n°290
舞台裏より愛をこめてvol.2 / 小笠原尚子 / n°291
舞台裏より愛をこめてvol.3 / 小笠原尚子 / n°292
舞台裏より愛をこめてvol.4 / 小笠原尚子 / n°293
舞台裏より愛をこめてvol.5 / 小笠原尚子 / n°294
舞台裏より愛をこめてvol.6 / 小笠原尚子 / n°295
舞台裏より愛をこめて番外編 / 小笠原尚子 / n°296